シリーズ・世界の文豪 異郷 E・ヘミングウェイ短編集

生前未発表の短・中編全7編が新訳で甦る。

【収録作品】
「十字路の憂鬱」「死者たちの遠景」「汽車の旅」「ポーター」
「何を見ても何かを思い出す」「本土からの吉報」「異郷」

著者      E・ヘミングウェイ
訳者      山本光伸
ISBN       978-4-434-19305-7 C0097
版型      四六版 並製
ページ数    224ページ


我々は昼前に十字路に到着した。そこでフランスの民間人を誤って撃ち殺してしまった。男は我々の一台目のジープを見るなり、農家の先の右手に広がる野原を一目散に逃げ出したのだ。クロードが止まれと命じたが、男は走りつづけ、レッドが発砲した。その日の最初の獲物に、レッドはご満悦だった。
――『十字路の憂鬱』より


その建物の内部は奇天烈な様相を呈していた。言うまでもなく、エレベーターは使えない。昇降するエレベーターを支える鉄柱がねじ曲がってしまったのだ。六階まで上る大理石の階段もそこかしこで破壊されていて、階段を上るときには、落ちないように慎重に端っこを歩かなければならない。今は存在しない部屋へと通じるドアもある。まったく無傷のドアを開け、敷居をまたぎ越したとたんに、虚空に転落ということになりかねない。その階と、その下三階分の床は、高性能爆弾の直撃を受けて、建物の前面ごと剥ぎ取られてしまっている。それでも、最上階とその下の階では、前面にある四部屋が無事に残っていたし、各階の裏側にある部屋では水道もまだ使用することができた。我々はこの建物を、‟古屋敷”と呼んでいた。
――『死者たちの遠景より』


父がぼくの体に触れ、それで目が覚めた。暗がりの中、父はベッド際に立っていた。父に触れられて、はっきり目覚め、視覚も感覚も働きはじめたものの、ほかの部分はまだ眠ったままだった。
「ジミー」と父が言った。「起きたかい?」
「うん」
「服を着なさい」
「わかった」
 父はそこに立っている。ぼくは動きたかったが、眠っている部分が言うことを聞いてくれなかった。
「服を着なさい、ジミー」
「うん、わかった」そう言ったものの、まだ起き上がれない。するうちに眠気が去り、ぼくはベッドから降り立った。
――『汽車の旅』より


そろそろ寝ようというときに、お前は早朝の景色を見たいだろうから、下の段で寝なさいと父が言った。父さんは上の段で少しも構わないし、もう少し起きているからと。ぼくは脱いだ服をハンモックに入れ、パジャマに着替えてベッドにもぐり込んだ。
――『ポーター』より


この時期、マイアミはじめじめとして蒸し暑く、エヴァーグレーズ湿地から吹きつける陸風に、朝方にもかかわらずたくさんの蚊が運ばれてくる。
「なるべく早く出立しよう」ロジャーが言った。「ぼくは金を手に入れる。きみは車に詳しいほうかい?」
「そうでもないわ」
――『異郷』より


「とてもいいストーリーだ」と、少年の父親は言った。「どんなにいい出来か、お前がわかっているといいんだが」
「でも、ママに言っておけばよかった、パパにはまだ送らないでって」
「ほかにも何か書いてるのか?」
「ううん、あれだけだよ。ほんとにさ、パパには送らないでほしかったな。でも、あれが賞を取ったんで――」
――『何を見ても何かを思い出す』より


三日間にわたって南からの風が吹きつづけ、ダイオウヤシの葉を揺さぶり、強烈な風に撓む灰色の幹から煽られはためく葉は、先端へと帯状に裂けていった。風の勢いが増すにつれ、葉の暗緑色の茎が堪えきれずに千切れ飛ぶ。マンゴーの木の枝も風に弄ばれ、ポキッと音をたてて折れる。その花は炎熱に炙られ、埃をまとって茶色に変色し、茎は干乾びる。雑草も干上がり、土は乾ききり、風はざらついて埃っぽい。
――『本土からの吉報』より


私はかつて、日・英バイリンガルのある友人から、ヘミングウェイの文体を生かした日本語訳にお目にかかったことがない、と聞いたことがある。…いまこうして自分が翻訳する段になって、そのときの友人の言葉が悪夢のように蘇ってきた。……
ヘミングウェイ の有名な文学理論に‟Iceberg Theory(氷山の理論)”がある。ご存知のように、語らずに伝えるという、表現のしすぎを戒めたものだ。また芥川賞作家の三浦哲郎は、良い文章なるものを定義して、‟すべての無駄を省き、同時にすべてを言い切ること”と述べている。
今回の訳出に当たって、私が唯一心がけたのは前記のことだった。
――訳者「あとがき」より


他の言語に翻訳する際、ヘミングウェイの文体とリズムをそのまま反映させることは不可能ではないか、と常々思ってきた。……
英語による無飾で即物的な表現によって、なお人間の内に潜む深淵な感情や情緒を表してきたヘミングウェイの文学が、日本語への翻訳によっても表出できることが、このたびの山本光伸氏によって証明された。
長く「翻訳の可能性」に疑念を抱いてきた私はそれが間違いであったことに気づかされたのだ。
――日本ヘミングウェイ協会顧問 今村楯夫氏「推薦文」より
シリーズ・世界の文豪 異郷 E・ヘミングウェイ短編集

販売価格: 1,500円(税別)

(税込: 1,650円)

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